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10th Anniversary 創業期のストーリー

TFTがダボス会議の場で産声をあげて10年。今では600以上の企業・団体が参加し、5,600万食を届けられる(※)NPOに成長した私たちも、創業当初は他団体のオフィスの隅に間借りしたスペースに、2つデスクを並べたところからのスタートでした。そんな私たちの「はじまり」を振り返るいくつかの印象的なストーリーを、ここでご紹介します。(※2017年末時点)

WEF会長も認めた!ビジネスモデルが出来上がった瞬間

近藤正晃ジェームス

TFTの創設メンバーの一人である近藤正晃ジェームス

TABLE FOR TWO(TFT)のコンセプトが生まれたのは世界経済フォーラム(ダボス会議)の、ある分科会の席上だ。TFTの創設メンバーの一人である近藤正晃ジェームス(一橋大学大学院国際企業戦略研究科 客員教授)は、ファシリテーターを務めた地球規模課題についての分科会で隣あったチームが、一方は「飢餓問題」、もう一方が「飽食問題」について話し合っているのに気づいた。同じ食料問題なら一緒に解決できるのではないだろうか・・・?そう考え、この二つのグループに一緒に議論してもらったのがTFTの始まりなのだ。けれど、これを実際の事業として立ち上げるまでには紆余曲折があり、様々な人の助けがあった。
たとえば、ネーミングも最初は『フードフォーバランス』とか、パッとしないものだった。のちにアメリカ人のトップ・デザイナーの力を借りて、めでたくTFTという名前が決まった。周りに話し始めたところ「名前とコンセプトは、誰に話しても最初からすごく好評で、よくないという人にはほとんど会わなかった」のだと言う。

しかし事業に対する手応えを感じたのは周囲の好反応からだけではなかった、と近藤は続ける。ダボス会議の主催者である世界経済フォーラム・シュワブ会長からの「お墨付き」もあったからだ。
シュワブ会長は新しく立ち上がる社会事業を多数見てきた「目利き」。事業のスケーラビリティや資金集め、企業や社会への受け入れやすさなどの予測に関して、感覚が優れているのだと言う。「その彼がTFTを素晴らしくいいね、と言ってくれたんです。だから世界経済フォーラムが全面的なバックアップをしてくれたことは、初期から今に至るまでの大きな財産」なんだと、近藤は続けた。

世界経済フォーラムが全面的なバックアップをしてくれたことは、初期から今に至るまでの大きな財産

また「給食」をTFTの支援の手段と決めた裏には、経済学者のジェフリー・サックス教授のアドバイスがあった。近藤曰く、「ジェフは、日本が健康改善の取り組みとして世界に示唆と貢献を与えた一つは学校給食なんだってことを言っていた」のだそうだ。
戦後に学校給食を導入したことによって、国民の栄養状態は改善した。しかし給食という「子どもを通じた未来への投資システム」は世界レベルで見ればあまり普及していないのが今日の現実だ。だからこそ日本発の組織で、これを支援の柱にするのはとても良いことなのではと話したのだという。そして、給食をアフリカの最貧国で提供する際のコストは、「20円くらいじゃないか」と教えてくれたのもサックス教授だった。
コンセプトと、周囲の好反応、支援の手段。これが揃った時、近藤はTFTの事業に確信を持ち社会事業としての船出を決めたのである。

愛着を持てる「自利=利他」のしくみとは?

古川元久

古川元久(衆議院議員)

「僕はちょうどその頃、食と社会問題のつながりについて考える機会がたくさんあったんですよね」と思い出すように語るのは古川元久(衆議院議員)だ。

「ある人と開発途上国の医療支援について話した際には、医療支援といってもまずはワクチンや投薬に耐えうるだけの体力がなければどちらもできないという話を聞きました。また、ある団体では一日三食が当たり前でない人たちを支援するために、自分が一食抜く、また抜いたつもりになってその分を支援にあてる活動を行っているという話も聞きました。これらはすべて「食」という課題につながることだったのです」と古川は言う。

そして参加したのが、近藤正晃ジェームスの話にも出てきた世界経済フォーラムの、食に関する分科会だった。その後TFTの創設者に名を連ねることになったのだが、こうして振返ると、それは当時の古川にとって自然な流れだったと言えるだろう。 しかし、スムーズだったのはここまで。TFTを立ち上げた当初、古川の決断は驚かれ、多くの人から意見もされたと言う。「そんな趣味みたいなものをいつまでやるのかと言われた事もありましたし、反対にNPOは片手間にできるほど甘いものじゃない!とお叱りを受けたこともありました」と苦笑いを浮かべる。

けれど古川は、TFTの持つしくみが社会問題解決に役立つことを疑わなかった。「TFTのモデルはそれまでの支援のように一方的ではない。支援する側とされる側、双方にとって『ウィンウィン』の仕組みです。こんな風に、自利がそのまま利他につながるモデルは今までになかったし、今後色々な社会問題の解決を考える上で応用できると感じた」ことが、何を言われてもTFTに関わり続ける理由になった。

とはいえ気がかりもあった。「私たち創設者はそれぞれ本業があった。ですから運営は事務局に任せたわけですが、果たして彼らが愛着と責任を持って、創設者たちと同じ意識で事業を育ててくれるだろうか」と、当初は心配していたのだ。しかし始まってみれば、創設当時から在籍している小暮・安東をはじめ今に至るまで、TFTに関わる人たちは皆、この組織に自然な愛着と責任感を持っていることが分かったのだと言う。

「働く人だけに限りません。創設後じきに始まったTFT UA(学生団体)もそうですし、TFTメンバーを通じて活動を知った多くの人も同じです。TFTが立ち上がって比較的早い段階で企業や役所、大学でプログラムを導入してもらえたのはそういった人たちのおかげですし、そこで実績を積めたことが今につながっているんだと思います」

パートナーを組むのは企業であっても、TFTという仕組みはそこに働く個人をひきつけ、参加を積極的に選ばせる魅力がある。そして個人が愛着を持てる仕組みだからこそ、サステイナブルに続いていく。今も古川はそう信じている。

失われたTシャツと、ネーミング&ロゴ誕生秘話

堂前宣夫

TFT立ち上げメンバーの堂前宣夫

もしかしたらTFTは「フードフォーバランス」と呼ばれていたかもしれない。というエピソードがあったが、ネーミングとロゴの決定に大きな役割を果たしたのが、やはりTFT立ち上げメンバーの堂前宣夫(株式会社ディー・エヌ・エー社外取締役/マネックスグループ株式会社 社外取締役)だ。ネーミング案で行き詰ったメンバーは、当時ユニクロの米国支社に駐在していた堂前に相談を持ちかける。
「何かのイベントで早速プロモーションしたいというので、名前とロゴを考えて、それをプリントしたTシャツを手配してくれないかって、いきなり相談が来たんですよね」と当時を振り返る堂前は、考えあぐねてユニクロの社員に相談を持ちかけてみる。「そうしたらマーカス・キエルスタンっていうデザイナーを紹介されたんですよ。それで彼に依頼してみたんです」

TABLE FOR TWOという名前

TABLE FOR TWOという名前は数度のやり取りを経て生まれた。しかし、ロゴの方は「決め打ち」だったのだと言う。マーカス氏から提案されたデザインはたった一つ、現在まで使われているロゴだけだった。最初に目にした時の堂前の印象は、「第一印象は『ユニクロに似てるんじゃないの?』と思った。これでいいのか?って(笑)」、だそうだ。けれど、「マーカスは、TFTのロゴは、この先色々なビジネスで使われるようになるだろう、と考えていたみたいなんですね。だから、どこに貼られ、どんなに遠くから見てもパッと見てすぐ分かる目立つものにしてくれたようなんです」という思いを聞いて納得する。店舗デザインに携わったデザイナーならではのアイデアだったのだ。

さて、名前もロゴも決まり、あとはTシャツにプリントするだけ。すると、「おあつらえ向きにユニクロで余っている白いTシャツがあったので(笑)」、それにプリントし準備は完了。梱包してイベント会場へ向けて、いざ発送!・・・しかし、ここでオチがついてしまった。
「どうしてか分からないんですが、Tシャツを詰めた箱が途中で紛失してしまったんですよ。理由は今もってわかりません。謎のままです・・・」
今もどこかに眠る幻のTFTシャツよ、いずこに・・・。

荒れる船出、求む事務局長!

松田公太

松田公太(前参議院議員)

「やっぱりコンセプトとして、ものすごくわかりやすいんですよね、TFTって。分かりやすくて、聞いてすぐに理解できるのは、社会事業にとってすごく重要なんだと思い知らされました」と語るのは松田公太(前参議院議員)だ。
とはいえ、実際にそれを事業として売り込んでいくとなると、誰がそれを話し、広めるかが重要だと感じてもいたという。そのためには組織の声を一つにまとめ、それを効果的に外部とコミュニケーションすることが肝要だ。でも、立ち上がったばかりのTFTには、いわゆる「船頭多くして・・・」で、それを実現するのはなかなか難しかった。

「最初は右往左往してたんですよね。みんなが好き勝手に夢を語っていて、しかもそれが必ずしもみんなが同じ方向を向いているとは限らない。すべての人の話をとりあえず受け止める人が、まずは必要だったんです」と松田は言う。そして白羽の矢が立ったのが小暮真久事務局長(当時)だった。
まず外に発信する前に中をまとめる必要があったわけだが、これは手ごわい仕事だったようだ。「みんながそれぞれ発言したり、指示出しする中で、誰の言うことを聞いたらいいのか分からないし、事務局長としても最初は困ってたんじゃないかな」という印象だったらしい。

将来に対する期待

でも松田によると、「無事に走り出して」、現在事務局長を務める安東や他のメンバーも加わりながら、TFTは一つの社会事業として「ワンボイス」を獲得していったのは皆さんご存じのとおり。そして今松田が感じているのは、将来に対する期待だ。
「TFTはこれからもまだまだ伸びていくだろうなという期待はすごく持っています。やっぱり日本発の世界的ムーブメントは他にないし、これを大切にして、次の20年、30年と続いて行って欲しいなと思っています」

支援の現場~誰に届いて、何を変えているか?

藤沢久美

藤沢久美(シンクタンク・ソフィアバンク代表)

私たちの支援は、この子たちに歪みを与えていないだろうか?TFTが事業を開始して初めて実施した支援先訪問で、そう感じたのは藤沢久美(シンクタンク・ソフィアバンク代表)だ。
「私たちが支援しているのは、三度の食事もままならないから給食を出し、学校に来て勉強してもらおうという子どもたち。でも学校には支援団体から贈られたPCがあって、生活は困窮しているのに世界のことについてはインターネットを通じて良く知っている。そこに世の中の歪みみたいなものを感じたんです」と藤沢は語る。

そして、TFTを通じて給食を出すということが、パソコンをプレゼントしている支援と何が違うのだろう?私たちは歪みを助長しているのではないのだろうか?と疑問を感じたのだと言う。
しかし、それは杞憂だった。村の大人たちと話すと既存の価値観や生活様式に強いこだわりを持ち、保守的な人が多く見えた。一方で、「子どもたちは、『勉強して学校を卒業し、医者になって人の命を救いたい』とか、『エンジニアになって村の発展に貢献したいんだ』とか言うんです」と藤沢は続ける。インターネットのおかげで、大人たちが想像もしないような未来に対するイメージを持っていることを知ったのだ。

外とつながることの大切さ

それは外とつながることの大切さを藤沢に改めて認識させるとともに、「悪印象でしかなかったパソコンが、実は子どもたちの未来への希望を与えていると分かった時、給食もそんな風に夢に出会えるきっかけになるのかなと思いましたね」と彼女は語る。そして勉強する楽しさや、その理由を語るときの、彼らの目の輝きも忘れられないのだと。
当時41歳だった藤沢が年齢を問われるままに答えた時の、彼らの大きな驚きも忘れられないものだ。なぜなら「現地の平均寿命は、当時45歳くらいで40以上の人があまりいないって言われたんです。だからこの年でいっしょに騒いでいる私はおばあちゃんですらなくて、ゾンビなわけです(笑)」。

実は支援に行ったというよりも、自分の生き方について振り返り、また日本の戦後の姿について思いをはせる機会でもあったと藤沢は言う。「日本は平和ボケと言われますが、戦後には私がアフリカで出会ったような子どもたちが、きっとたくさんいて、その人たちが今の日本を作っている。アフリカの彼らにも、そんな世の中を作って欲しい」と今でも彼女は思っている。

なぜこのムーヴメントに熱狂するのか

高島宏平

高島宏平(オイシックスドット大地株式会社 代表取締役社長)

TFTの活動は、企業で働く社会人のサポートなしには広がらなかった。いくら企業が社員食堂プログラムを導入しようと、実際にそれを購入して食べてくれる人や、賛同して盛り上げてくれる人がいなければムーヴメントとして広がらず、また定着もしないからだ。
その点、TFTは仕組みがわかりやすいというアドバンテージがあった。また、寄付をすることで自分にもメリットがある、という新しい支援の形も受け入れられやすい理由だったかもしれない。しかし、TFTが日本で一番大きな社会事業として成長できたのは、それだけが理由だろうか?

「このコンセプトにはパワーがあるんですよね」と言うのは高島宏平(オイシックスドット大地株式会社 代表取締役社長)だ。TFTの立ち上げメンバーである高島が代表を務めるネット・スーパー大手のOisixを運営する同社は、「TFT寄付付き商品」を初めて販売した企業。普通なら前例のないこと、しかもほとんど無名のNPOの名前を冠して商品を売るのに躊躇するだろう。

将来に対する期待

しかし、高島曰く「僕は、社内にTFTのプロジェクトチームを作るまではやったんです。でもそのあと放っておいたら、みんながどんどんのめり込んでしまって、あとから寄付金額を聞いてびっくりしました」という。「上が、やれって言っても、社員が心の底から良いと思うことでないとやらないし、強制的にやらそうとしても、全然うまくいかない」企業文化の同社では、結局「お客さんが喜んでくれるからどんどんやろう!ってことになったんだと思う」と高島は結論づける。そして、それこそが「コンセプトのパワー」なのだと言う。「説明すれば伝わるし、伝われば共感してくれる。共感してくれればすぐにアクションにつなげられる仕組みがある」という分かりやすさと機動性が、パワーにつながるのだとも。
「おかげで会社がお客様の寄付活動のインフラになっちゃってるんじゃないかと思う時もありますけどね」と苦笑する高島も、TFTを創業時から支えてくれる「熱狂者」の一人でもある。

Text: Kiyo Sasaki
Photo(一部を除く): Moyuru Mano
(※人物の肩書はすべて2017年現在のもの)